人間らしさとは何か

 

新型コロナウイルス禍で、「人間らしさとは何か」ということを考えることがしばしばあります。

外出の禁止や店舗の営業自粛要請で、コロナの終息と経済活動を天秤にかける議論を見かけます。

 

人間以外の動物たちには、「コロナ終息vs経済活動」という議論はありません。

あるはずがありません。

 

そうすると、人間を人間足らしめているのは経済活動なのだろうかという思いに至ったりもします。しかし違和感を覚えます。

今年の3月はそんな感じでした。

 

20世紀はスローガンとして、戦争なき時代といったテーマをよく見かけました。

いま新たな世紀に入り20年ほど経ち、世界は目に見えない得体の知れないものと闘っています。

立ち向かう武器はなく、Webカメラとか小さなマスクを片手に無防備にその闘いに挑んでいます。

 

21世紀のテーマはウイルとの闘い

 

ウイルスとの闘いが、おそらく21世紀の世界的なテーマになっていくことは火を見るよりも明らかなことです。

 

学校が休校になり、家に籠らざるを得なくなった小学生や中学生たちは、このウイルスとの闘いと共存しながら生きていくことを宿命として生まれてきた世代なのかも知れません。

 

彼ら彼女たちは、そうした時代を新たな秩序を形成しながら、価値ある時代を築いていくだろうと思います。

 

話しは戻って、今ネット上では他人の主張を批判する書込みを見かけます。

政府の判断が正しいだの間違っているだのといった論争も見かけます。

感染症に対峙する医療者を敬遠する状況も見かけます。

 

人と人を分断するウイルス

 

もとよりこの新型コロナウイルスは、「人と人とを物理的に分断させるウイルス」であることは言うまでもありません。

 

しかし、このウイルスは心の距離まで遠ざける力をもったウイルスなのでしょうか?

人は物理的に離されると、心の距離まで離れてしまうのでしょうか。

 

私は、これまでの正義や常識では立ち行かない闘いにおいて、何が正しいとか何が間違っているという議論は何の意味も持たないと思っています。

 

おそらく、世界は、今の子どもが先頭に立って新たな秩序をつくっていくんだろうと思います。

凝り固まった頭では無理でしょう。新たな秩序づくりは。

 

改めて、いま(2020/4/25)私が考える人間らしさとは何か。

変化を受け入れる柔軟性と智慧こそが人間らしさであろうと考えます。

 

図らずも、昨年5月のブログで「令和はパラダイムシフトの時代になるだろう」と記しましたが、このような形でパラダイムシフトが進行するとは予想だにしませんでした。

 

様々な変化を受ける柔軟性が、今こそ求められているんだろうと思います。

 

冷静な対応と最善の判断で、今を乗り越えましょう。