大学とは何か。ブランディング視点で考える大学。

大学とは何か。
結論からいうと「学生の未来を育む機関」と言うことができるだろう。

今回このブログを書くきっかけになったのは、日大アメフト部の危険タックルに端を発した「日大の対応問題」である。
経緯の詳細はここでは省かせていただく。

日大アメフト部の監督・コーチによる選手に対するパワフルとも思える精神的・身体的プレッシャーと、真偽はまだ明らかになっていないながらも危険行為の指示があり、相手チームの選手に怪我を負わせる結果になってしまった。
実際にルール違反をした選手による誠意ある謝罪や会見とは対照的だったのが、その選手を指導する立場にあった監督とコーチの誠意が感じられない試合後の対応や会見である。また合わせて、日大広報・経営陣の対応の問題が指摘される。

この一連の対応の中で、私が気になったのが日本大学のスタンスである。

彼らの対応は、いったい何をプライオリティに置いた対応だったのだろうか?
ついつい見え隠れするのが、「経営の維持」「個人の保身」である。

つまり、大学の存在とりわけ経営を維持しようという考えや、経営陣から嫌われまいとする個々人の保身である。
そこには「学生の未来を育む機関」としてのスタンスは、残念ながら微塵も感じられない。
そう感じたのは私だけでないだろう。

少子高齢化は、日本の教育機関とりわけ私学にとっては経営課題になってきている。
特徴を上手に出せない大学にとっては、死活問題となる。
そのため各大学が、受験性の取り合いに躍起になっているのも事実である。
行き過ぎた入学生の奪い合いは、さながら企業間の市場争いそのものである。そこには、学生の幸せを目的とする大学からはかけ離れた、学生を“売上げ”の手段とした視点が伺える。

今回の日大問題の背景にも、マンモス化した組織を経営的にも体制的にも守ろうとした意志が感じられてならない。
受験生の減少は日大にも大きな問題になる。

ところで、学生やその家族が、大学に学費を払うのはなぜか?
それは、もちろん授業や設備への対価して支払っているわけだ。
それ以上に、学生の将来への投資して支払っているとも言えるだろう。

一方で、どこの大学に払うか(=どこに入学するか)を決するものはなにか?

そこにその大学のブランド力があるのだろうと思う。
もちろんここでいうブランドとは、イメージや認知といった表層的なことではない。

「学生の未来をどのように考え、どのように育もうと考えているのか」
大学が、学生やその家族に、それを明確に示し、実際の授業、課外活動、広報活動を通じて体現させていくこと。
それが今、私学に問われているのだろうと思う。

今回の日大の問題は、「大学とは何か」「選ばれる大学とはどういう大学か」「学生は何を基準に大学を選ぶべきか」それらを問うて余りあると言えよう。

大学経営のために学生を利用する大学なのか、それとも学生の将来のための存在する大学なのか、それが問われる時代に入ってきた。